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そのホームページ、間違っている!

SEO対策ってなんだ? (これこそ、大きな間違いそのもの!)

ホームページやサイトの業務というと、検索エンジンの上位に行くという理由でSEO対策を優先させる企業は多いが、大きく間違っていることを立証したい。ホームページについてよく知らない担当者が、SEO対策をすること自体がムダなことなのだ。SEOとは何かを簡潔に説明すれば、検索サイトでは上位に表示されるためのSearch Engine Optimizationの略であり、検索エンジン最適化の略語とされている。それが意味することは何だろうか?

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深化させるためには、担当者の知識の深化から

会社案内や入社案内は、コピーと写真やイラスト、デザインという二次元で、画像も静止画という表現方法しか持てなかった。CIではデザインが優先されて、ビジュアル中心という中身のないことが会社の収益を脅かす、という危険性も身をもって体験したはずなのだが、肝に銘じたような印象はない。活字もない世代、文盲が多かった不毛の時代よりはまだマシなのだろうが、現代版のホームページでは版権は別として映像も使えるし、音声や音楽でも使いまわすことができる。ことに動画というファクターは大きい。情報伝達という意味ではそのビット数がメガからギガ、テラにまで伸びた感がある。問題は、それを担当する人間が無知であったり、勉強嫌いな愚か者を充てている会社が少なくないということ。シナリオも書けない、女遊びもしたことのない真面目な(要はバカな)社員が、女遊びは女性蔑視という感覚すら持たない役員の指示でホームページを作ったとしても、溢れるほどのサイト情報を浴びているだけでなくツイッターやFacebookで情報を垂れ流している若者がそこを訪れて納得するはずはない。それすら理解できていないからサイト訪問者が少なく、評価が低い。

製品の購入者は情報を欲しているのだが、製品の製造側は情報という意味を取り違えていることに気付いていないだけでなく、情報が求められていること自体の感覚がない。それこそがホームページの課題の本質なのだ。ホームページを訪れる人は、どんな情報が欲しくて、そのホームページを見るのだろうか。そのための情報を収集するシステムを、ホームページは持っているだろうか、そういうシステムを意識的に存在させているだろうか。そんな意識でホームページを作っているだろうか。それが意識の欠落という根拠になっている。そんなことに配慮できる有能な人材を充てているのか? ホームページでは何がしたいのだろう?そのことからしてホームページを推進する担当部署の意識不足と知識不足、加えて知能不足ということになる。他社にあるからうちもという感覚だけで、そこに戦略性など窺えない。

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マスコミやメディアの認識とは

客観評価や相対評価にある。つまりはニュースになることという価値観で動く。犬が人を咬んでも話題にはならないが、人が犬を噛んだらニュースになるというソレだ。現在、年間6千人が交通事故で死亡している。月に500人、週で100人以上。中高年の自殺に至っては年間3万人以上で、交通事故の5倍の数。すべてをニュースにはできないが、すべての人に背景もあれば、それまでの人生もある。だから、そこに特化を求めるのである。事故や自殺の特徴や傾向、特筆すべき理由が必要になる。すごい金持ちであったり美人だったり、芸能人などの著名人であったり…。事故や自殺の背景に、問題はなかったろうか。信号機の故障が原因なら、警察の怠慢だ。社会の景気停滞ならば政治家の資質が問われ、保険金が話題になれば保険を掛けようとする人が増えるかも知れない、反対に保険に問題があるという論調が主になれば解除する人が増えるかも…。それがニュース。その感覚を身に付けた社会人が、優秀と言われる。電車に乗る、そこに何人いるかを数えていれば、事故が起きた時すぐその被害者数を答えられる、そういう訓練をマスコミはする。自分の好みを押し付けるのは子供、製品を開発するなら市民の声を真摯に聞くべきだ。どのプロ野球チームの応援も、Jリーガーのサポートも自由だが、社会の大勢はそれと違うかも知れない。だからランキングを取る。ランキングに左右されるアホはマスコミに入れない。

例えばファッションの傾向を知りたければ、原宿・竹下通りを3日間も眺めていればいい。もちろんファッションに関心ないオヤジはすぐにも飽きるだろうが、それでも朝から晩まで眺め続けていると、おかしなことにファッション傾向が見えてくる。突飛なデザインだけで普段ろくなものを着ていないヤツと、こいつなら時代を作れるかもという可能性が見えたりの区別ができたりしてしまう…。もちろん主観で、それが間違いということも少なくない。でも、ある感覚が身についてくることが自分でもわかる、たかが3日間だけでも…。それを人は習性と呼ぶ。普通の人はやらないから、それすら認識できないだけのことで、もちろん身につかない人もいる。同じ教師に習っても、東大に行く学生もヤクザに成り果てる生徒もいる。優秀なコーチから習っても、全国制覇する選手もいれば、そのスポーツ自体を辞めてしまう若者もいる。でも、そこにある感覚や習性というものは残るはず。それが引きこもり若手社員や仕事だけのロートル役員でも、マスコミやメディア認識のある人材は、それさえあればホームページは活かすことができる。後は優秀な社員であることを祈るのみだが…。

優秀な人材だけが業界の可能性を広げられる

そんな優秀な人材が社内にいないとすれば、ホームページがより輝くことはなく、マスコミやメディアの活用は諦めるべきで、業績の向上も難しい。偏差値の高い高校でも成績トップの受験生だけが難関大学に入れ、国公立という難関の大学でもトップの成績を取れないと、マスコミには入れない。それだけ優秀な人材と伍して、ましてやそのマスコミを利用しようというのだ。生半可な知識や知恵では、彼らは動かない。テレビ人間はさらに柔軟な知性が求められる。女子アナは+美貌だ。美人というより、不快感を与えない表情。義務教育とか高校の各級に、クラスのマドンナがいる。学年を合わせるとかなりの数だが、全員が女優やモデルになれるはずもない。飛び切りの美人がふるいに掛けられ、芸能界に残れる。そこにあなたは入れるのか? そんな世界がマスコミやメディアなのだ。引きこもりが使えるか!

対策として考えられることは真摯な態度

対策なんてない。当該領域の優秀な人材が、その製品や事業に対して、真摯に向かうことでしか対策は存在しない。周囲は、頭の悪い引きこもりや仕事バカの愚か者がただやっている宣伝ごっこやホームページごっこに辟易としているのだ。会社や会社の製品、業界のためにマスコミをうまく使いたいということ自体は、悪いことではない。ただ利用したいのなら、マスコミについては知らなければならない…。マスコミだけが偉いのではない。メディアの怖さを知り抜いているからこそ、部外者の無神経や無遠慮が鼻持ちならないのだ。恐ろしさを体験させてやりたくなる。女にもてた経験もない、センスのないオッサンが、広報担当というだけで美しい女優やモデルに近寄ってくるのだ。会話能力もなく、知性のカケラすらも伺えない、そんなオッサンが臭い鼻息をさせたまま近寄ってくる、スポンサー面をして…。仕事が欲しい若いモデルですら敬遠をするのだから、知性に自負のある業界人が毛嫌いするのは理解できるだろう。それが理解できないのなら、すでにマスコミ業界からも見限られていること、相手にされていないという証拠だ。マスコミについては、別項で説明している。

課題について、より深く考えてみたい

課題の最も大きなものは、意識だろうと考えられる。学生時代に勉強から逃げていただけでなく、社会のなんたるかも知らない引きこもりオタクに、学問が嫌いな代わりに仕事に没頭して、家庭も顧みずに無茶苦茶に働いてきたという無趣味な会社人間の役員に、マスコミの叡智が理解できるはずはない、メディアの威力もその恐ろしさを知る由もない。そんな意識しか持てない担当者がホームページをハンドリングすること自体、そんな会社ほどこの時代から取り残されても仕方ないとしか言いようがない。だから会社案内や入社案内を作ってもその蓄積やノウハウが社内に残されず、流行に乗ってCIを導入しても、その封筒や伝票は支社が増え、どこかの電話番号が変わっただけで使いものにならずに、倉庫に積まれたままなのだ。愚かな限りだが、ただ突き放すだけなら猿でもできるから、解決する方法を考えてみたい。それがメディア、対マスコミの意識だろうと考える。情報を発信することの強みとオピニオンリーダーとしての矜持が、業界内でのスタンスを作って、顧客からは高い評価を受ける土台となる…。ブランド作りといっていい。ブランドとかブランディングについての詳細は別項で述べているからそちらに譲るが、情報発信という意識がそこにあるかないかでサイトの評価は大きく分かれてしまうのだ。なぜなら、価値観が異なるから…。名家育ち、資産がある人、オシャレに自信のある人、人生にプライドを持っている人ほど、何でもいいというヨロズ屋的な、間に合わせのコンビニな商品を嫌う。ファッションに価値観を見出す若く美しい女性が、廉価品のスーパーのワゴンセールのドレスを着て、デートに行くことはない。勝負パンツがあるくらいだから、勝負ドレスもあれば、勝負バッグも勝負パンプスもある。それは、デート相手の男性の考える範囲をはるかに超えて厳しい視点がある。費用であれ、価値観であれ、美しさにおいても…。そこにある美意識は、ファッションには関心のない他者に理解できるはずもないが、同じことが最新の情報というセクションにおいても、ファッション以上に大きな要因として立ちはだかる。ブランド、という分不相応な高額品に身を包む若い女性が格安店のバーゲンに行かないように、知性ある人しか入れないマスコミの人間や優秀な業界人が、愚かな部外者の介入を嫌うことを、サイト担当者は知るがいい。

現状と理想は、はるかに乖離しているのに

では、現状はどうなのかというと、社員の中にメディア論を語れる要員はいない。もし社内にいたなら、メディアに転籍しているか、社内でそれなりの発言力を持つ論客になっているはずだが、それを無視するだけでなく拒否する、能力の飛び出しを目立ちたがりとして排斥する勢力や意向があれば、企業の戦力にならないとして沈んでしまう可能性は高い。戦力にならないというのは、単に一兵卒としか人の能力を考えられない才能のない係長や部長職、メディアに無知な幹部社員に多い感想なのだが、彼らに参謀としての能力がないから係長にしか、広報担当の役員にもなれなかったと考えるなら、そんなホームページを滅亡の方向に向かわせる犯人であり、彼らにメディアを活用できる能力はない。問題解決能力もなければ問題発見能力もない、交渉能力もないのでは、何度外部メディアと情報のやり取りをしても他のサイトに勝てる見込みはまるでない。それはそんな係長、役員しか育てられないという会社側の戦略性のなさでしかない。新興企業によく見られる、役職の適格性について考えることなくただノリで担当を振ってしまうからこそ、その段階で業務が停滞してしまうのだ。気分だけの割り振りだから、そこで能力を発揮することはできず、むしろその配置が戦略性のなさや適応力のなさ、要は知能指数の低さを周囲に暴露しているだけという会社は多い。

会社の情報、業務の情報はプロの視点で

会社は法人と言われるように、社員と同じく日々生きているもの。業務も日々推移しているのだが、それを日記に残すように記録できないというのは社員の、会社としての向上意欲のなさでしかない。日々の生活はドキュメンタリーにならないが、日々の蓄積のないところにドキュメンタリーの神は降りてこない。とはいえ会社が事業に励んで、業務を通じて社員が頑張っているのは、そのまま成長ドキュメンタリーの構成要因ではないか。そこらの社員に気が付かないだけで、ドラマチックな業務活動は、そのままドラマになる。優秀なシナリオライターがいれば、ビジネスドラマにも、ヒューマンドラマにも、2時間もののサスペンスドラマにもなってしまうのだ。ビジネスドラマだったら、最後にはエンドユーザーのためにというコンセプトさえ外さなければ、ハッピーエンドのドラマはいくらでも書ける。当然、演じるのは現役の社員や女子社員、重役や経営者…。それがそのままドラマの役者を演じることで、現場の息吹を伝えることもでき、ドラスティックな業界の動きを広く外部に伝えることにもなり、知名度も高まればその領域のファンを増やすことにもなる。もしその映像が社会から話題となったら、そのままテレビのキー局の月9ドラマの舞台になったとしたら、業界全体の知名度は全国的になり、収益力は飛躍的、格段に上昇する。そんなことがプロの世界を知ると可能になると知っていただろうか。ホームページとは社内や業界だけでなく、一般人も見られるメディアだ(会社案内や入社案内、CIは対外的な告知力が弱かった)から社内や周辺には知られなかっただけで、もしかしたらその持つ影響力は外部に大きな脅威を与えていたかも知れないのだ。というよりも、そういうことも考えに入れた展開がなされていなければならないのだが、素人の引きこもりパソコンおたくと情報音痴の窓際役員が担当しているという構図から、いまだに抜け切れていない気がする…。会社情報や業務の内容をドラスティックに報道できるスタッフがいなければ、この時代のホームページを活かすことはできない。プロとしての認識がいかに必要とされている時代かということを知ることだ。

プロとしての認識がそこにあるだろうか

今あるホームページを見直してもらいたい。自社でなくても、そこらのホームページをよく見直してみると、価値があっておもしろいサイトと、そうでもないサイト、そこにある意味がわからないサイト、なければいいのにというサイトが混在することに気付くはずなのだ。おもしろそうか、そうでないかというのは個人の主観だが、素人感覚なのか、プロとしての存在感が感じられるサイトかという、その違いなら少しでも冷静にサイトを見られるようになるとわかってくるものだ。素人感覚のサイトは、周囲に配慮できていない、子供のように好き嫌いだけを自己主張するサイトが多い。自己主張だけ、他者の誹謗や非難するブログも少なくない。メディアとしての認識を持つ、マスコミの視点を持つサイトであれば、コピーでも写真やイラストでもアピールする力は強いもの、他者を受け入れる度量も残している。わがままと大人の分別と言い換えられるだろうか。プロとしての認識は、そういうことからも窺える。会社案内の頃には見えなかった、外部の声が直に聞こえるのが、ホームページのいいところでもあり怖いところでもある。デパート1階にある化粧品売り場と同じように、化粧品販売の現場にとっては花形の職場でもあるし、顧客情報の収集の場としてはこれほど最適な場はないが、同時に同業の化粧品会社が覇を競う場でもあるから、その優劣や評価が瞬時に出てしまう場でもあるのだ。だからこそ、ネット上で展開されるホームページの制作に対して、プロとしての認識がなければならない。趣味や物好きで対応できる場ではない。

情報ということの質についての検証

提供情報について、検証してみたい。一般的な会社員、ことに過去引きこもりだったようなパソコンおたくの担当社員に理解できるはずもないが、情報には質も旬もある。地震が来るという情報は、それが精確なら質の高い情報である。それによって対応しなければならない事態も多く、場合によっては人命にもかかわるから。しかし、地震が来てからの地震速報は遅きに失する場合が多い、来てしまえば旬情報とは言えない。お客が少なく、閉鎖も考えた地方旅館が、突然の人気となって3年先まで予約で一杯になった。なぜかというと、30万円もするフランス製の枕を導入したから。コンコルドの設計にも携わった技術者が睡眠工学に基づいた高額な枕を設計したこと、知人の伝手でそれを入手できた旅館経営者がマスコミに知られ、旅行関係の雑誌記者がその旅館に押し寄せたことから、旅行好きから絶大な話題となってしまった。枕ひとつの情報が、旅館を閉鎖の危機から救ったのだ。情報というものの本質がそこにある。雑誌が毎号毎号特集を組んで新しい情報を流すのは、そこらにある情報に新たな価値観を加えたいからだ。テレビ番組では毎日新しい情報を提供し続け、年数回の番組改変期にはさらなる時代の流れを見せつけて、情報を追い続けなければならないような枯渇感を人々に与えている。人が動く理由は、哀願でも依頼でも強制でも脅迫でもなくて、情報だ。自発的に動くのは、それだけの情報価値があるから。情報には価値があり、評価が与えられ、収益に結び付くのだ。業務全般の情報はホームページに掲載する価値があるか、情報を探り出して価値あるサイト記事に構成できるか、が重要になるのだ。ホームページの巻頭にある中身のない社長の挨拶との違いがどれほどあるか、を知ることがサイト運営者やサイトの管理者には必要となる。素人の感想と、マスコミの情報性や話題感との間の認識の大きな違いを理解すること、それが重要性を持つ。情報が、これからの時代のツボなのだ。

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